BFC3感想【Aグループ】
インディー・キュレーションレーベル〈惑星と口笛〉の西崎憲氏が主宰する『ブンゲイファイトクラブ3(以下BFC3)』の一回戦全作の感想をここに記そうと思う。簡単に説明すると、BFC3は原稿用紙6枚以下の文芸作品(小説、短歌、俳句、詩、批評など)でファイターと呼ばれる作者が、ジャッジと呼ばれる判定者の評決で勝敗を決めるトーナメント戦である。ジャッジは判定を下した作者たちに“ジャッジのジャッジ”を受けて2回戦以降、徐々に振り落とされ、決勝戦では2人のファイターと1人のジャッジの判定でチャンピオン、優勝者を決める。2019年10月に初回が開催され、今年で3回目を迎える。今年は24人が4グループに分かれ、トーナメントが行われている。11月28日に決勝の判定が下され、優勝者が決まる予定。ちなみに筆者は三回連続三回予選敗退である。勝敗も決まり、作品公開から日が経っていて作者自身も作品について言及しているが、その辺りは敢えて読まずに書いている。的外れな誤読もあるかもしれないがご容赦願いたい。
「幸せな郵便局」竹田信弥
六枚という制限の中で六人もの人物を登場させて、しかも視点を固定せずに六人の視線を描くという荒業でも読者が混乱せずに読めるのはかなり推敲を重ね、構造を考え抜いたのではないかと推測する。一番、効いていると感じたのは最後に郵便局長の落合が全体を俯瞰している視線が入ったところである。この一場面でかなり全体像がくっきりとイメージでき、タイトルとも違和感なく繋がっているのではないか。個人的には山田と与田の関係はちょっと含みを持たせ過ぎているように感じた。森が犬を入れた箱を郵送しようとしているという大きな疑問に答えが出ない以上、ほかの疑問は読者の引っ掛かりとなり得るからだ。ただ、それでも全てを呑気に眺める落合が吹き飛ばしてくれるところが救いとなっている。
「成長する起案」鞍馬アリス
作者の別名義での作品をいくつか読んだことがあるが、その幻想、ファンタジーの作風のイメージが強かった自分にとって、リアリズム的で派手な展開も見られない今作は、作者の冒険的で、異色の意欲作だと一読して感じた。それでも、最初の――中西さんの起案は成長する。――という一文から、心地よい違和感で興味をそそるのは作者の魅力を凝縮した一例であろう。話としては冒頭で言ったように、同僚だった中西さんの起案する書類の押印欄が増えていく、というただそれだけのことにもかかわらず、伝承的に平均五ヶ月書類が通るのにかかるだとか、最長で十一ヶ月、計百十五人の間を回ったとか多少大げさでもあり得そうなギリギリの現実感を持っているところで、読者はついつい読まされてしまう。その設定の中でも"月が満ちるように少しずつ起案が成長する""起案の神様"といった、作者らしい幻想的言い回しが全体をまた魅力的に見せている点にも好感が持てる。
「夏の甲子園での永い一幕」夜久野深作
一読では理解するにはかなり難しい作品のように感じた。自分は人生が甲子園に置き換えられた、その人生の落後者が再び人生の華やぐ表舞台に立つ物語として読んだ。まず、“ホームに戻ってくる”ことがホームベースというよりも、人生における第二の出発点であるようなことが――もしかすると敵チームに所属していた連中の方が少しだけ多くホームへ戻っていったのかもしれない――という一文から読み取れる。そのあとで、チームメイトが塁上で負った怪我で路上生活を余儀なくされて犯罪に手を染めたということを語り手は感慨もなく語る。一方で語り手は出塁したものの、打球を受けて“線外”へと退場する。それから観覧者となった語り手は、いつしか甲子園の試合が行われなくなったと嘆く。夢や希望を失い、社会で“現役”として若い世代を観てきたと読み、リタイアして再び生きがいを無くした老後かと考えた。観客たちは再び甲子園を作ろうと言い出す。それは手作りで立派とは言い難い代物でも彼らは再び訪れる熱い夏を待ち焦がれる、人間賛歌として読後感は一見良い。落伍者や甲子園に立たない人々の祈りとして響く様なサイレンを彼らが自ら口ずさむというのは皮肉のようにも読める。
「花」宮月中
一見、爽やかな青春学園ものに思えるが、最後の部分で無邪気さを帯びた残酷さ、人間の本質的な闇を花で飾った異様さが胸を締め付ける。語り手が教室の花瓶の花が毎朝変わっていることに気づき、だんだんとその背景が浮き彫りになっていく手腕は流石。まず菊の花が登場する冒頭でその予感はある。それから――校門で待ち伏せするマイクとカメラ――というところでその予感は確信へと変わる。教室で事件が起こっている。竜胆の花言葉には「悲しんでいるあなたを愛する」というものがあるらしい。ここで竜胆を選んだところといい、弁当を母親でなく、父親が作っているという描写で語り手のバックグラウンドにも配慮している作者がまた心憎い(※11月14日のブンゲイ実況でこの花言葉、父親が弁当を作っている設定、善悪の分かりやすい相対化への言及はジャッジトラップ=作者が意図的に、ここへの言及で作品を読んだ気になったジャッジをふるいにかける罠であったことが判明)。見事に罠に引っ掛かったが、自分への戒めとしてそのまま掲載しておく。この作品で素晴らしい部分はさらに後半、花瓶に竜胆の花を挿し、差し替えた秋桜のやり場に困って鞄に仕舞うところで語り手がそれまでのクラスメイトの気持ちを察して、“肩の荷が下りる”という人間の弱さを見えないところに仕舞われた役目を終えた花と共に語られるところである。そして花瓶の置かれた机に誰が座っていたのかも忘れてしまう十代の残酷さがずっしりと胸に残る。
「連絡帳」星野いのり
冒頭の一句で一学期の始まりと春、新しい出会いを予感させる。新生活の期待感や春のうららかさを感じるのは――お花見のおにぎりのシャケこぼれそう――までで、つぎの――いっぱいのばいばいしたら子猫あげる――という一句から不穏さを思わせ、遠足の一句とメダカの一句で学校生活、集団心理に対する作者の強い不信感のようなものが強く出ているところで、この連句は大きな空虚や寂しさや怒りを内包していると読んだ。ここでキーワードとなっているのが「先生」であるところからもそれは感じる。学校生活から離れる夏休みの連句が輝いているということもそう読むと頷ける。――からっぽで暗い教室運動会――や――落葉ふむ昼休みからいなくなる――の句から、書き手の疎外感が痛々く伝わる。そして冬はほぼ先生への視線が読まれている。最後の――先生が別の先生四月くる――で締められているところが恐ろしい。これはいち生徒の孤独のようでいて、先生の孤独と学校というシステム自体への猜疑心が通底していることを読み手は最後に知る。そこからもう一度読むことによって世界が変わるという強度は、下手な物語よりも遥かに大きな物語性を伴って読者の心に迫る。「連絡帳」というタイトルも秀逸。
「矢」金子玲介
「幸せな郵便局」をも超える八人の登場人物がそれぞれの行動で綺麗に物語を収束させていくという大枠で言うと、「幸せな郵便局」と好対照な作品だと思う。誰もが経験しそうな名前における漢字の間違い問題をテンポよく、在り来たりにせず、オチまでつけるあたりは作者の持ち味が存分に生かされている。それでいて視線の移り変わりもスムーズに読者を混乱させないように一つ一つにノートの切れ端や、黒板やチョークなどの小物を使って視点をずらしているところに作者の技術力の高さを感じた。一つ不満を言うなら、あまりにも全てがスムーズ過ぎて引っかかりがないところ。大家がただ寝ていたというのがその一因かと思う。彼がなぜ登校したのか、なぜ不登校だったのか、そういった背景は、登場人物の親が別の登場人物に殺されたという「幸せな郵便局」にとっては余計に感じた引っかかりとは逆に、この作品に必要なものだった気がする。