BFC感想【Dグループ】

ブンゲイファイトクラブ3の感想を引き続き書いていく。BFCについてはhttps://blog.hatena.ne.jp/blurmatsuo/blurmatsuo.hatenablog.com/edit?entry=13574176438036270403を参照にしてほしい。

 

イカの壁」鮭さん

 センス・オブ・ワンダーイカの調理をする家庭科の授業光景からここまで発展する意味が分からない。語り手の口調はツッコミのように冷静で、空飛ぶイカの襲来も想像しやすく描写されているところはもちろん、村上がまな板上のイカに“ポンポ”と名付けるやいなや、自身も情がうつってしまうあたりが素晴らしい。最後まで泣きわめく村上、イカに一人毅然と立ち向かう先生、なぜかイカの意志を読み取る愛さん、と一人ひとりのキャラも立っていて物語にドライヴ感がある。

「生きている(と思われる)もの」瀬戸千歳

 怪奇ものでありながら、ポップな感じをまとったところが好印象。背後霊を数えるバイト、というシチュエーションがピカイチ。その中で、人の型をした光が様々な霊を追い払っていく描写が不穏さを煽るというラストが秀逸。それすらもあまり深刻に捉えない語り手と、依頼主の大月の会話がこの絶妙なバランスを保っている。

「お節」小林かをる

 育ちも家柄も違う嫁入り先でのゴタゴタという、一見ありふれた問題を軽妙に、しかし、義理の姉の一人息子である理一郎の自死という重い出来事を入れ込みつつ、彼らの心情の変化を巧みに抑えた文体で表している。最後の一文には毒が効いていて最高。

カニ浄土」生方友里恵

 きつい方言を話すカニ漁に勤しむ男と海辺の情景を描く冒頭で、どこか片田舎を思い浮かべていると、男の名前がXXQで軌道エレベーターの見える景色が現れ、一気にSFの世界へと情景が一変するカタルシス。流れる時間と重力の違い、入植者の絶望、一見のどかな風景も残酷に移ろい、あくまで研究に徹する語り手の突き放すまなざしが効果的である。

「明星」藤崎ほつま

 学園での百合ものかと思わせる冒頭から突然、吸血鬼の話がねじ込まれて読者を引き込む転換がすごい。囲碁打ち、葬式という渋い演出のギャップから「はないちもんめ」の文言に織り込む初期スクールカーストのやり取りも上手い。吸血鬼に引っ張られそうなシチュエーションで最後の明星の描写がエモーショナルに響く。

「欄雪記」伊島糸雨

 造語で植物を擬人化するという世界観の掲示に度肝を抜かれた。その中で奇異に走らず、抑揚された語り口が澄んだ映像感を生み出す。6枚という限られた字数で深淵かつ広大な世界を描き出すことに成功している。ただ、植物の生殖には他の動物や環境を介するという決定的な違いがあるので、その辺りがここに反映されているところが読みたかったという個人的な願望はあった。

BFC3感想【Cグループ】

ブンゲイファイトクラブ3の感想を引き続き書いていく。BFCについてはhttps://blog.hatena.ne.jp/blurmatsuo/blurmatsuo.hatenablog.com/edit?entry=13574176438036270403を参照にしてほしい。

「超娘ルリリン しゃららーんハアトハアト」首都大学留一

初読で一体なにを読まされているんだ! という驚きに圧倒される。もう一度読むと、細やかな描写が丁寧に書かれていることに意味を見出そうとするが、やはり全てが超越した何かであることしか分からない。漫画のキャラを連想させるような描写ながら、ルリリンは除湿マットを外に干して取り込むという細やかな気遣いができるという点が微笑ましい。しかし、それは序盤だけでマリリンがステキステッキを引き抜き、ハアト部位が赤く発光する場面を見た語り手が、昼と夜が早送りのコマのように一瞬で過ぎ去る時間軸の中に捉えられるというハチャメチャな展開で一気に独特の世界観を掲示する。明滅する昼と夜を□■という視覚的な図形を取り入れる野心も、六枚という限定された範囲の中でその怪文じみた効果を加速させている。そしてこれだけ途中に「昼夜□■ひるよる」という不規則な羅列を挟みながらも、オチまで読ませて面白いという力業を成し遂げるあたりに狂気を感じた。

「中庭の女たち」コマツ

まるで絵画や彫刻のような美術作品のように、いつの間にか作品世界に引き込まれて現実との境目が曖昧になるような感覚に陥る。それは丁寧に積み重なる描写と、絶妙な視点移行によるものか。さらに、そこに加えられる歴史と想像を掻き立てる余白は読者への没入感をいっそう深めている。添乗員の解説とわたし、中庭の女たち、ガラスケースに中にある象牙の珠、すべての境界が交わる浮遊感は読後の心地良さへと繋がる。

「バックコーラスの傾度」堀部未知

「超娘ルリリン~」のド派手さや「中庭の女たち」の幻想的要素はなく、日常的な描写や華やぐエンターテインメント性もない、この絶妙な合間にある現実を舞台裏や端役にも満たないファンの心理で描き切ったところに感服する。にもかかわらず、この作品を印象深くしているのは、その独特のネーミングセンスにその一端がある。ともさかと呼ばれる猫の名前、語り手がバックコーラスのオーディションを受けたムード歌謡グループ「夕陽に吠えるいつか&まっちうりーず」、「砂」というバス停、そのシチュエーションも「焼いたチーズケーキを凍らせてすりおろす」という内容のオーディションという奇天烈怪奇でありながら、どこか自然にも思える絶妙さである。ここで語られるエレファントカシマシ宮本浩次のスタイルについての批評めいた言及が、幻想小説とも違う世界観の掲示となっている。しかし、最後に椅子を犬のように見ていた語り手がその吠え声を聞き、それがスタンドマイクに見えてバックコーラスの傾度を探るという一文でこれが妄想なのか、という問いが生まれ、再び冒頭に戻ると新たな側面が現れる。

「銘菓」左沢森

会話文のような印象がありながら、その中に情景が浮かぶという、かなり高度な言葉選びに脱帽。――いつ見てもパトロール中の交番のその奥に十月を匿って――というような、突飛でいながら違和感のない繋がりも魅力的だ。その一方で、リノリウムの床、亀谷万年堂など存在感のある固有名詞もすっぽり収まっているところに驚きを禁じ得ない。日常的な感覚が短歌となるというのは、根っからの歌人であるのだろう。川合大祐の映像的な魅力と好対照で、作者の作品は情景的と言える。おそらく読者それぞれのイメージや共感を呼び起こすという意味で、読者を選ばず幅広い層に好まれるように感じた。

「やさしくなってね」白城マヒロ

西友で暴れ回る謎の生物、"それ"を咄嗟に身体を張って抑え込む幼い語り手。周りの人々はただ傍観するだけで、隣にいた語り手の母親も――お母さんに任せておくのはほんとうに心配だった――と幼い語り手に言わしめる程に頼りない。最後まで"それ"が何であるのか明かされないまま、語り手は強い関心と少しずつ芽生える情を抱きながらも、「頭の中で何度も何度も」それに対して暴力を振るい続ける。タイトルは皮肉なのか、純粋な作者の望みなのか、大きな問いを読者に投げかける。同じクラスの男児の目を気にして、教室で話しかけられた際にどう答えるか、イメトレするところなど細やかな心理描写が妙にリアルで良き。

「ロボとねずみ氏」紙文

生命とはなにか、心とはなにか、物語において人間以外を描く際に必ず大きなテーマとして対峙せざるを得ないと同時に、さんざん書き尽くされてきたこの問題と真正面から向き合っているところにまず敬意を表したい。じゃがいもから得られるエネルギーで自給自足的に動き続けるロボという発想も面白い。最後のオチまできちんと読者の盲点を突くべく計算され尽くされた起承転結で、六枚という限られた枚数での完成度は全作品の中でも一番の高さだと思う。

BFC3感想【Bグループ】

ブンゲイファイトクラブ3の感想を引き続き書いていく。BFCについては前回

https://blog.hatena.ne.jp/blurmatsuo/blurmatsuo.hatenablog.com/edit?entry=13574176438036270403

を参照してほしい。

 

「金継ぎ」藤田雅矢

月を列車のように軌道を走る人工物として描くというセンスに脱帽。ピンセットでジオラマ模型を扱うような作業、掠奪団の襲撃、月の博物館と一つ一つのエピソードの挿入も展開として飽きさせない、テンポの良さと相まって読ませる小説としての完成度も高いと感じた。ただ、物体としてのスケール感がばらばらであるところには、個人的に引っ掛かった。月をピンセットで作業する巨人であるか、もっと巨大建造物的に放水車で汚れを取り除くダイナミクスを取り入れるか、その統一感があれば完璧だった。

「5年ランドリー」坂崎かおる

タイトルどおり、五年間回る洗濯機という発想で勝ちだなと思わされる。舞台設定が旧ソ連ノヴォシビルスク、ロシア内戦、大戦後の世界再編など健気に生きる幼馴染の物語に影を落とす、こうした題材のチョイスも作者の構成の妙を感じた。叔母さんが時代背景を物語ることで、存在感を示す楔のように語り手を場に留めているところが技術力の高さを窺わせる。五ヶ年計画で赤軍と白軍が戦った記憶もかき消される程に発展し、飢饉を逃れた人々が流入してくる都市の歴史と、伊出身俳優でボンドガールとして『007ロシアより愛をこめて』でボンドガールに抜擢されたダニエラ・ビアンキが結婚後に家族との生活を選ぶ経歴とは裏腹に、アメリカに渡ったまま帰らないヴィーチェニカを待つ語り手が最後に見た水色の魚が再び5年という歳月を思い返させるタイトルとの関連性も技術力の高さを感じさせた。ただ、全てが示唆的で作者は全て意図しているとしても、題材が六枚という分量に対して豊富で長編のサイドストーリー的な趣きを個人的に感じた。それは、いい意味でも悪い意味でも読み手の印象を変えやすい作品だと思う。

「第三十二回 わんわんフェスティバル」松井友里

現代の日常的な風景描写や、嫌味な受付の女性と怪しげな着ぐるみのキャラ造詣などリアリズムを徹底した文体の中で生きた犬が希少であるという価値観だけが異様に立ち上がっていることで印象深い作品に仕上がっている。さらに、その犬の描写は一切なく、チラシの散乱するさまや語り手の犬に対する希求感をありありと描くことで、犬を集めた「わんわんフェスティバル」が三十二回目を迎えるという、ある程度の伝統と好評さに対する不信感も払しょくされているところは物語としての完成度も高いと感じた。

「ちいさなリュック」薫

今大会の作品群の中で最も純文学的というか、語り手の心理描写で社会に通底するテーマを深く掘り下げた作品と感じた。語り手が渦中の一歩外に出た立場で少女の自死というショッキングな現場から再び無機質なネットカフェへと戻るという過程を切り取ったところも作者独自の視点や世界観を感じる。さらに、語り手がただの部外者ではなく、後半で防犯カメラの映像を通して亡くなった少女と自身の共通項を見出すところは、物語としての強度を補填して余りある。人づてに少女の安否を知らされて、遺族が取りに来る残されたちいさなリュックが物体として宿した雄弁性で締めくくるところに作者の“語ること”に対する問題意識を垣間見た気がする。

「沼にはまった」さばみそに

朝の通勤風景や、大学時代の親友との何気ないやり取りなどごくごくありふれた情景を切り取っているにもかかわらず、突如現れる透明の沼という怪奇現象の一点張りで全体としてかなり不思議な印象を与える。沼にはまった人間を誰も助けない人間に対する不信感、毎朝餌をやっていた猫だけが語り手を餌に脇目も振らず気にかけている猫至高な感性も柔らかい言葉遣いながら痛烈な印象を受けた。語り手が全生物に対して寛容で優しさに溢れている人格者であるところは、沼にはまることと関連するのか、長い物語としても膨らみそうな奥深さも感じた。

「フー 川柳一一一句」川合大祐

作者には第一回BFCで「ニルヴァーナ 川柳一〇八句」という煩悩と涅槃という仏教的世界観を感じさせるタイトルの川柳作品群でファイターとして出場していた時に強烈な印象を受けた。今作ではそれを上回る百十一句という怒涛の川柳群が圧倒的存在感を示す。筆者は川柳の良い読み手ではないが、サラリーマン川柳などで触れてきた川柳とは全く別の感触があることは肌で感じる。今作では――1.<あなた>という現象――など四つのサブタイトルが振られているところで、物語性を帯びていると筆者は感じたが、川合大祐氏のスペースで本作の解説を聞いたところ、「適当に付けた」という本人言でズッコケた。しかし、この適当さが何か意味を帯びているように感じさせる作者の言語能力の身体性の高さとでもいうべきものが唯一無二感を生んでいると改めて思うエピソードである。それはもちろんすべての句にも言える。みのもんたたのきんトリオといった芸能人からユングやスメルジャコフ、村上春樹といった文学関連、ランゲルハンス島やコルシカ島などの地名まで幅広い固有名詞とニッチな選び方も作者のセンスが光る。もう一点、筆者が感じる魅力は川柳でありながら非常に映像的な句が多いところだ。――ガチャピンに追われて投げる目潰し粉――、――ぶんか社の社訓を暗記する老婆――など無茶苦茶なシチュエーションながらありありとその映像が目に浮かんで思わず笑ってしまう。

BFC3感想【Aグループ】

インディー・キュレーションレーベル〈惑星と口笛〉の西崎憲氏が主宰する『ブンゲイファイトクラブ3(以下BFC3)』の一回戦全作の感想をここに記そうと思う。簡単に説明すると、BFC3は原稿用紙6枚以下の文芸作品(小説、短歌、俳句、詩、批評など)でファイターと呼ばれる作者が、ジャッジと呼ばれる判定者の評決で勝敗を決めるトーナメント戦である。ジャッジは判定を下した作者たちに“ジャッジのジャッジ”を受けて2回戦以降、徐々に振り落とされ、決勝戦では2人のファイターと1人のジャッジの判定でチャンピオン、優勝者を決める。2019年10月に初回が開催され、今年で3回目を迎える。今年は24人が4グループに分かれ、トーナメントが行われている。11月28日に決勝の判定が下され、優勝者が決まる予定。ちなみに筆者は三回連続三回予選敗退である。勝敗も決まり、作品公開から日が経っていて作者自身も作品について言及しているが、その辺りは敢えて読まずに書いている。的外れな誤読もあるかもしれないがご容赦願いたい。

 

「幸せな郵便局」竹田信弥

 六枚という制限の中で六人もの人物を登場させて、しかも視点を固定せずに六人の視線を描くという荒業でも読者が混乱せずに読めるのはかなり推敲を重ね、構造を考え抜いたのではないかと推測する。一番、効いていると感じたのは最後に郵便局長の落合が全体を俯瞰している視線が入ったところである。この一場面でかなり全体像がくっきりとイメージでき、タイトルとも違和感なく繋がっているのではないか。個人的には山田と与田の関係はちょっと含みを持たせ過ぎているように感じた。森が犬を入れた箱を郵送しようとしているという大きな疑問に答えが出ない以上、ほかの疑問は読者の引っ掛かりとなり得るからだ。ただ、それでも全てを呑気に眺める落合が吹き飛ばしてくれるところが救いとなっている。

「成長する起案」鞍馬アリス

 作者の別名義での作品をいくつか読んだことがあるが、その幻想、ファンタジーの作風のイメージが強かった自分にとって、リアリズム的で派手な展開も見られない今作は、作者の冒険的で、異色の意欲作だと一読して感じた。それでも、最初の――中西さんの起案は成長する。――という一文から、心地よい違和感で興味をそそるのは作者の魅力を凝縮した一例であろう。話としては冒頭で言ったように、同僚だった中西さんの起案する書類の押印欄が増えていく、というただそれだけのことにもかかわらず、伝承的に平均五ヶ月書類が通るのにかかるだとか、最長で十一ヶ月、計百十五人の間を回ったとか多少大げさでもあり得そうなギリギリの現実感を持っているところで、読者はついつい読まされてしまう。その設定の中でも"月が満ちるように少しずつ起案が成長する""起案の神様"といった、作者らしい幻想的言い回しが全体をまた魅力的に見せている点にも好感が持てる。

夏の甲子園での永い一幕」夜久野深作

 一読では理解するにはかなり難しい作品のように感じた。自分は人生が甲子園に置き換えられた、その人生の落後者が再び人生の華やぐ表舞台に立つ物語として読んだ。まず、“ホームに戻ってくる”ことがホームベースというよりも、人生における第二の出発点であるようなことが――もしかすると敵チームに所属していた連中の方が少しだけ多くホームへ戻っていったのかもしれない――という一文から読み取れる。そのあとで、チームメイトが塁上で負った怪我で路上生活を余儀なくされて犯罪に手を染めたということを語り手は感慨もなく語る。一方で語り手は出塁したものの、打球を受けて“線外”へと退場する。それから観覧者となった語り手は、いつしか甲子園の試合が行われなくなったと嘆く。夢や希望を失い、社会で“現役”として若い世代を観てきたと読み、リタイアして再び生きがいを無くした老後かと考えた。観客たちは再び甲子園を作ろうと言い出す。それは手作りで立派とは言い難い代物でも彼らは再び訪れる熱い夏を待ち焦がれる、人間賛歌として読後感は一見良い。落伍者や甲子園に立たない人々の祈りとして響く様なサイレンを彼らが自ら口ずさむというのは皮肉のようにも読める。

「花」宮月中

 一見、爽やかな青春学園ものに思えるが、最後の部分で無邪気さを帯びた残酷さ、人間の本質的な闇を花で飾った異様さが胸を締め付ける。語り手が教室の花瓶の花が毎朝変わっていることに気づき、だんだんとその背景が浮き彫りになっていく手腕は流石。まず菊の花が登場する冒頭でその予感はある。それから――校門で待ち伏せするマイクとカメラ――というところでその予感は確信へと変わる。教室で事件が起こっている。竜胆の花言葉には「悲しんでいるあなたを愛する」というものがあるらしい。ここで竜胆を選んだところといい、弁当を母親でなく、父親が作っているという描写で語り手のバックグラウンドにも配慮している作者がまた心憎い(※11月14日のブンゲイ実況でこの花言葉、父親が弁当を作っている設定、善悪の分かりやすい相対化への言及はジャッジトラップ=作者が意図的に、ここへの言及で作品を読んだ気になったジャッジをふるいにかける罠であったことが判明)。見事に罠に引っ掛かったが、自分への戒めとしてそのまま掲載しておく。この作品で素晴らしい部分はさらに後半、花瓶に竜胆の花を挿し、差し替えた秋桜のやり場に困って鞄に仕舞うところで語り手がそれまでのクラスメイトの気持ちを察して、“肩の荷が下りる”という人間の弱さを見えないところに仕舞われた役目を終えた花と共に語られるところである。そして花瓶の置かれた机に誰が座っていたのかも忘れてしまう十代の残酷さがずっしりと胸に残る。

「連絡帳」星野いのり

 冒頭の一句で一学期の始まりと春、新しい出会いを予感させる。新生活の期待感や春のうららかさを感じるのは――お花見のおにぎりのシャケこぼれそう――までで、つぎの――いっぱいのばいばいしたら子猫あげる――という一句から不穏さを思わせ、遠足の一句とメダカの一句で学校生活、集団心理に対する作者の強い不信感のようなものが強く出ているところで、この連句は大きな空虚や寂しさや怒りを内包していると読んだ。ここでキーワードとなっているのが「先生」であるところからもそれは感じる。学校生活から離れる夏休みの連句が輝いているということもそう読むと頷ける。――からっぽで暗い教室運動会――や――落葉ふむ昼休みからいなくなる――の句から、書き手の疎外感が痛々く伝わる。そして冬はほぼ先生への視線が読まれている。最後の――先生が別の先生四月くる――で締められているところが恐ろしい。これはいち生徒の孤独のようでいて、先生の孤独と学校というシステム自体への猜疑心が通底していることを読み手は最後に知る。そこからもう一度読むことによって世界が変わるという強度は、下手な物語よりも遥かに大きな物語性を伴って読者の心に迫る。「連絡帳」というタイトルも秀逸。

「矢」金子玲介

 「幸せな郵便局」をも超える八人の登場人物がそれぞれの行動で綺麗に物語を収束させていくという大枠で言うと、「幸せな郵便局」と好対照な作品だと思う。誰もが経験しそうな名前における漢字の間違い問題をテンポよく、在り来たりにせず、オチまでつけるあたりは作者の持ち味が存分に生かされている。それでいて視線の移り変わりもスムーズに読者を混乱させないように一つ一つにノートの切れ端や、黒板やチョークなどの小物を使って視点をずらしているところに作者の技術力の高さを感じた。一つ不満を言うなら、あまりにも全てがスムーズ過ぎて引っかかりがないところ。大家がただ寝ていたというのがその一因かと思う。彼がなぜ登校したのか、なぜ不登校だったのか、そういった背景は、登場人物の親が別の登場人物に殺されたという「幸せな郵便局」にとっては余計に感じた引っかかりとは逆に、この作品に必要なものだった気がする。

知られざる映画原作の世界 小川洋子『博士の愛した数式』

 映画には数多くの原作が存在する。世界で最初の職業映画作家ジョルジュ・メリエスによる世界初の物語構成をもったサイレント映画月世界旅行』(1902年)は、仏小説家ジュール・ヴェルヌの同名原作のSF作品だ。以来、一世紀以上にわたりエンターテインメントの華やかな象徴として発展してきた映画業界を、今もなお下支えする原作の魅力を考察する。今回は2020年に『密やかな結晶』(1994年)の英訳版が英国ブッカー国際賞の最終候補となるなど、名実ともに日本を代表する小説家である小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社、2003年)に迫る。

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 小川洋子岡山県岡山市出身で、1988年に「揚羽蝶が壊れるとき」で海燕新人文学賞を受賞してデビューした。同賞は福武書店(現ベネッセコーポレーション)が発刊していた文芸雑誌『海燕』(1982年~1996年)の新人文学賞で、吉本ばなな角田光代などを輩出した。1990年、『文學界』9月号に掲載された『妊娠カレンダー』が第104回芥川龍之介賞を受賞。文壇ではすでに期待の新鋭として知られていたわけだが、彼女を一般的に有名にしたのは、やはり『博士の愛した数式』の大ヒットだろう。本作は2004年に読売文学賞、そしてこの年に創設された本屋大賞をダブル受賞。文庫版は当時最速の2カ月で100万部を突破するベストセラーとなった。2006年に『雨あがる』や『阿弥陀堂だより』で知られる小泉堯史監督が映画化して知った人も多いのではないか。

 

 

 『博士の愛した数式』は交通事故により、80分しか記憶が続かないという記憶障害を持った数学博士の元に家政婦として働く“わたし”が息子の“ルート”と共に博士と過ごした日々を描いた物語である。ルートというのは、もちろんあだ名で、ルートに出会った博士が「√」のように平らな頭を撫でながら彼をこう呼ぶ。この作品でも顕著だが、小川洋子の描く物語にはかなり変わった境遇を持った登場人物が出てくることが多い。マイノリティを描くとき、普通の感覚だと、とても悲壮感や残酷さが滲み出て全体的に重苦しい雰囲気となりがちだが、彼女が特異というか、好感が持てる最大の特徴はどの登場人物も卑屈ではなく、むしろ自身の欠点を誇らしく、長所のようにさえ思っている節もある、前向きなキャラクターであるという点だ。この場合は博士がその人物となるわけだが、今作では語り手である家政婦が彼に対してとても好感を持っているという点も大きい。忘れてはならないのが、この“わたし”もシングルマザーであり、社会的弱者という立場にあるということだ。そして、彼女も同じくそのことに劣等感を持ったり、卑屈になったりは決してしていない。むしろ、彼女は自身の仕事や理念に対して相当誇りを持っている。

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 前回は原作者と制作側の間で訴訟が起こった例を紹介したが(知られざる映画原作の世界~名作映画を生んだ物語の力とは~ - 曖昧模糊な世界ーBlur Worldー)、小川自身が試写会に登壇し「素数のように美しい映画です」とコメントしていることからも今回は双方、相思相愛で納得された作品となったようだ。とは言え、映画の『博士の愛した数式』は原作とは多少異なるストーリーとなっている。一番の違いは語り手が家政婦の母ではなく、中学校の数学教員となった息子のルートになっている点だ。これはかなり効果的に働いていると感じた。この物語には数多くの数学の定理が登場するし、もちろん重要な意味合いを持つから数学の教師となったルートが中学生相手にわかりやすく説明する描写は鑑賞者にとってもかなり没入感を促すからだ。そして、同時にそれは時間軸も原作と比べて未来に寄っているということになる。“わたし”が博士との日々を回想するのが原作ならば、映画ではルートが母と博士と過ごした日々を回想する構図だ。

 もう一つ、原作にはない重要な設定が映画ではなされている。博士の義理の姉である“未亡人”が堕胎しているということだ。この物語ではタイトルにある「博士の愛した数式」、最も美しい数式と呼ばれる「オイラーの等式≪eπi+1=0≫」が重要な意味を持つ。18世紀のスイス出身の数学者レオンハルト・オイラーによって提唱された。eは自然対数の底値で2.718281.....の超越数だ。10を何乗すればその値になるかという常用対数が、中世において天文学などの分野で使用されていた。これに対し、自然対数はネイピア数とも呼ばれ、1614年にスコットランドジョン・ネイピアが発表した対数表により微分積分、様々な解析の分野で応用されるようになった。πは円周率、iは虚数で二乗すると-1となる数だ。つまり、ネイピア数の円周率と虚数を掛け合わせた数の階乗に1を足すとその値は0と等しいという公式だ。

 原作で博士と未亡人とのただならぬ関係が、わたしの発見によって明かされるのは物語の後半であるが、映画では前半の早い段階で博士と未亡人の関係が永遠に損なわれたことを≪eπi=-1≫と表わした記述で、博士が未亡人に送った手紙が登場する。原作でも博士が未亡人に宛てた手紙の記述があるが、この部分は映画のオリジナルだ。いずれにせよ、博士と未亡人の関係に友人として“わたしとルート”、+1が加わることでこの関係が安定するということを博士は未亡人に伝える。そして彼らは生涯を通して付き合う関係を築くことになる。

 この部分は、より「オイラーの等式」を際立たせるために仕組んだのだろうし、小川も納得しているので、ここで筆者がとやかく言うことはナンセンスであるのを承知で言うが、筆者自身は堕胎とはいっても、ひとつの命が作品の演出で消されるということに大きな疑問を感じる。小川は芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』で、妊娠した姉夫婦と同居する妹が、姉に胎児に悪影響を及ぼすと噂される、遺伝子組み換えのグレープフルーツで大量のジャムを与え続けるという人間の闇を平易に、むしろポップに書いている。小泉監督も彼女の世界観を十分に把握した上で、この設定を付けたのだろう。やはり同じ作者とは言え(ロラン・バルトの「作者の死」ということではないが)、個々の作品はそれぞれの世界設定がある。それを一括りにするということには、横暴さを感じざるを得ない。

 

 ただ、小川が納得しているのはなぜか。ここを考えたときに映画のラストシーンが思い浮かぶ。映画では、最後に未亡人と博士が連れ立って野外で行われる能、「薪能」を鑑賞する場面がある。一瞬なので、どの演目なのか判別はできないが、これが「隅田川」であったならば、小泉監督はこの映画で堕胎の設定を徹底して完結させていると言えるだろう。「隅田川」は、京都で人さらいに一人息子を攫われた狂女が武蔵国隅田川のほとりの柳の木の下でその息子が眠っているのを知り、悲嘆にくれる物語だ。この一つの循環は小泉監督の造詣の深さを感じさせる。筆者自身は納得していないが、小川を納得させたのも頷ける。もちろん映画としても、かなり完成度の高い作品であることは間違いない。

映画鑑賞のススメ~読書好きに観て欲しい映画5選~ その8

 コロナ禍による影響もあったが、『鬼滅の刃』の大ヒットでようやく映画館への客足も戻って来た。しかし、まだ終息への道筋は見えておらず第三波による医療崩壊も危ぶまれている。その反面、自粛期間中に普段は見ない古い映画を鑑賞したり、積読された分厚い本を読む機会もあったのではないか。これを機にそういったことを慣習化してみてはいかがだろうか。このシリーズでは、小説や漫画などの原作を映像化した魅力的な作品を前7回で年代、邦画、海外作品問わず35作品を紹介してきた。

 今回もさらに5作品を紹介していく。

36.『嗤う分身』(The Double、2014年)

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 誰もがその名を聞いたことはあるが、作品は読んだことがないイメージの筆頭株であるロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの初期作品『分身(二重人格)』(1846年)の映画化。主人公ヤーコフ・ペトロヴィッチ・ゴリャートキンの前に突然うり二つの同姓同名を名乗る自分の分身が現れる。初めのうちは二人で協力して生きていけると思ったゴリャートキンだが、分身が周囲の信頼を勝ち得ていく様子を見て、自分が分身に利用されているのではないかと疑心暗鬼になりゴリャートキンは分身と次第に敵対していく。

 『ソーシャル・ネットワーク』で一躍有名になった米俳優のジェシー・アイゼンバーグが主人公と分身を一人二役で演じ、主人公が想いを寄せる女性を豪出身の女優ミア・ワシコウスカが演じている。監督は『サブマリン』で知られる英コメディアン、俳優、脚本家のリチャード・アイオアディ。

 『分身』は、ドストエフスキー作品の中で言えば全くと言っていいほど評価されていない。それは『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』などリアリズムに沿った人間の内面や社会風刺を巧みに重厚な作品世界に落とし込んで描く彼の魅力に対し、この作品ではやや幻想的に傾向しているからかもしれない。しかし、それは映像作品としては、かなり魅力的なものになるということを実証してくれた作品と言ってもいいだろう。

37.『不夜城』(1998年)

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 『少年と犬』で今年7度目となるノミネートの末、直木賞を受賞した馳星周のデビュー作の映画化。リー・チーガイ監督がメガホンを取り、金城武が主演した。

 台湾人の父と日本人の母の間に生まれた主人公の劉健一(リウジェンイー)は、歌舞伎町の中国人裏社会にも馴染まず一匹狼のように生きていた。しかし、かつての相棒であった呉富春(ウーフーチュン)が上海マフィアのボス元成貴(ユエンチョンクイ)の右腕を殺害したことと、彼の元から逃げてきたという恋人の佐藤夏美と出会い、彼女に惹かれていく中で裏社会の抗争に巻き込まれていく。

 残留孤児や中国と台湾の関係など大きな国際的問題を背景に持ちながらも、東京の歌舞伎町でたくましく、それぞれが自身のアイデンティティを誇りに生きているが上に、分かり合えず、絶え間なく争い続ける悲哀が満ちている。ノワール小説の金字塔。

38.『プリデスティネーション』(Predestination、2014年)

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  米SF作家ロバート・A・ハインラインによる1959年発表の短編小説『輪廻の蛇』を原作に、マイケル&ピーター・スピエリッグ兄弟が監督を務め、イーサン・ホーク主演で映画化された。

 1970年、あるバーで若い男がバーテンダーに自身の生い立ちを語るところから物語は始まる。男は性転換を受けた元女性で、恋に落ちた紳士との間に子どもがいること、紳士は妊娠発覚前に立ち去ったこと、子どもが何者かに誘拐され行方不明であることなどを語る。男に同情したバーテンダーはタイムトラベルで男が憎む紳士の元に連れて行くことを申し出る。バーテンダーは、タイムトラベラーだった。

 初めの場面からタイムトラベルを重ねることによって徐々にピースが集まっていく、タイムトラベル・クライムサスペンスとして非常に娯楽性の高い作品。壮年から老齢まで演じるイーサン・ホークも見事。

39.『All you need is kill』(Edge of Tomorrow、2014年)

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 2003年12月に『よくわかる現代魔法』(集英社)でデビューした桜坂洋が翌年に発表した同名原作を『ボーン』シリーズで知られるダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演で映画化。

 日本のいわゆるラノベがハリウッド映画化されたということでも話題となった。桜坂のデビュー作はタイトルからも分かるように、ラノベの主要ジャンルであるファンタジーでコミカル要素の強いものだったが、今作は主人公キリヤ・ケイジが異星人の送り込んだ「ギタイ」と呼ばれる殺人兵器と戦う中で死んでは生き返るということを繰り返し、その記憶を有用して奮闘するというタイムループのSF小説となっている。

 RPG全盛期に育った世代としては、この死んだらリセットして、続きからラスボスを倒すまでやり直すという死生観はメタフィクションとして入り込みやすく、世界的ヒットにも繋がったのだろうと思う。

40.『ペンギンハイウェイ』(2018年)

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 『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)で山本周五郎賞を受賞した森見登美彦による同名原作をスタジオコロリドがアニメ映画化。アニメーション制作者の石田祐康が監督を務め、女優の北香那蒼井優西島秀俊らが声優として出演した。

 小学4年生の男子、主人公アオヤマが住む街で突如としてペンギンの群れが現れるという怪現象が起こる。普段から研究ノートをつけるほど、研究者気質であるアオヤマはこの現象を研究すべくペンギンたちの生態を調べ始める。そんな中、アオヤマが通う歯医者で働くお姉さんがペンギンを出現させる瞬間を目撃する。やがてアオヤマは友人の男子・ウチダ、同じクラスの女子・ハマモトとの3人で、ハマモトが発見した山奥の草原の上に浮かぶ謎の球体「海」の共同研究を始める。そして「海」とお姉さんとペンギンの関連性に気づく。

 森見は今作で第31回日本SF大賞を受賞している。物体がペンギンに変化するという怪現象も、軽快な文体、小学4年生の視点で描くことで物語に入り込みやすい構造になっている。アニメーションがこの世界にマッチするのも納得である。

 さて、この自粛期間で動画配信サービスはかなり普及したのではないか。映画作品がより手軽に、そして安全に楽しめるという意味でそれは喜ばしいことだろう。同時に映画制作が止まり、過去の名作が再び映画館で上映されるなどこの困難な時だからこそ、ふだん経験できない希少な機会も訪れている。まだ先への不安は拭いきれないが、絶望せずに生きる僅かな一助として先に紹介した作品が役立てば幸いだ。

映画鑑賞のススメ~読書好きに観て欲しい映画5選~ その7

  世界中が新型コロナウィルスのパンデミックで混乱している今、自宅で過ごす最良の方法として動画配信などで手軽になった映画鑑賞を推奨したい。そこで興味を抱いたら、ついでに原作本を購入して読むふけるのもいいだろう。このシリーズでは、小説や漫画などの原作を映像化した魅力的な作品を前6回で年代、邦画、海外作品問わず30作品を紹介してきた。

 今回もさらに5作品を紹介していく。

31.『ふがいない僕は空を見た』(2017年)

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 窪美澄による同名原作『ふがいない僕は空を見た』(2011年、新潮社)をタナダユキ監督が映画化。窪美澄は2009年に今作に含まれる「ミクマリ」で第8回R-18文学賞を受賞しデビュー。今作で第24回山本周五郎賞を受賞している。

 高校生の卓巳は同人誌即売会で知り合った人妻の里美とコスプレ・プレイで不倫していたが、同級生の七菜に告白され里美との密会を止める。しかし、ベビー用品売り場にいた里美を見かけ、卓巳は自分との子どもができたのではないかと慌てる。さらに里美の不倫に気づいた夫の慶一郎に寝室を隠し撮りされた映像がネットに上がる。卓巳の友人である良太がその映像の入ったコピーディスクをバラまいてしまう。そして卓巳は不登校になるが…。

 コスプレや不妊治療やネット、貧困問題など現代ではもはや固定化されてしまった社会問題を抱え苦悶する人々を10年前に、しかもデビュー作でここまで書けていたというのは凄いと思う。

32.『バロン』(The Adventures of Baron Munchausen、2003年)

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 実在したカール・フリードリヒ・ヒエロニムス・フォン・ミュンヒハウゼン男爵をモデルにしたドイツ民話『ほら吹き男爵の冒険』をテリー・ギリアム監督がファンタジーとして映像化した。

 ミュンヒハウゼン男爵は18世紀のプロイセン貴族。ロシアに渡り軍騎兵大尉まで昇りつめるが実家を継ぐためプロイセンに戻りそのまま余生を過ごした。彼は話好きで館に人を集めてはフィクションを織り交ぜた自身の体験談を語り、その話を何者かが記録したものが『ほら吹き男爵の冒険』である。しかし、その後19世紀に様々な作家が大幅に加筆を加えており100以上のバリエーションが存在するという。1943年、ナチス政権下のドイツでウーファによって『ほら男爵の冒険』として映画化されている。

 トルコに攻撃される18世紀後半のドイツを舞台に、ジョン・ネヴィル演じる老人バロンがこの戦争の原因は自分にあると主張し語られる回想録。4人の家来である俊足のバートホールド、遠目の射撃の名手アドルファス、驚異的な肺活量を持つ小人グスタヴァス、怪力の大男アルブレヒトの活躍から気球に乗って訪れた月での摩訶不思議な体験などファンタジー好きにはたまらない世界観。

 セルバンテスの大作『ドン・キホーテ』をベースにした最新作『テリー・ギリアムドン・キホーテ』を発表したギリアム。代表作『未来世紀ブラジル』のSF仕立ても魅力だが、筆者はやはり彼のファンタジー要素溢れる世界が好きだということを再確認した。

33.『きっと、星のせいじゃない。』(THE FAULT IN OUR STARS、2014年)

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 米作家ジョン・グリーンの青春小説『さよならを待つふたりのために』(The Fault in Our Stars、2012年)をジョシュ・ブーン監督が『(500)日のサマー』の脚本で知られるスコット・ノイスタッターマイケル・H・ウェバーの二人の共同脚本で映画化。

 小児がんに侵された主人公のは自分が周りに気を遣わせると壁を作っている。心配する母のががん患者のサークルにを連れていく。そこで骨肉腫で右足を失ったと出会う。つれない態度のにもめげずにフレンドリーに接してくるにも心を許していく。

 どうしてもシリアスになりがちな“がん”をテーマにしながらも恋愛と愛読書の作家が絡んでくることによって構えなくてもスッと入ってくる物語に好感が持てる。

34.『ゴーストライター』(The Ghost、2015年)

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  英ジャーナリストで作家のロバート・ハリスの『ゴーストライター』をロマン・ポランスキーが映画化。元英国首相のアダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自伝小説の執筆を依頼されたゴーストライターユアン・マクレガー)がフェリー事故で亡くなった前任者の原稿とアダムや関係者への取材を進めていく内に国家を揺るがす秘密を知り、その陰謀に巻き込まれていく。

 ジャーナリストだけあって政治的主題を取り扱いながらも臨場感と躍動感がある物語を作り上げるあたりは流石。ロマン・ポランスキーの恐怖を演出するカット割りも最高。日本の映画だと、政治はどうしても官僚的、組織的な物語になりがちで感情移入がしにくい。『新聞記者』はそういう意味で評価されたのだろう。

35.『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(2008年)

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 森博嗣の同名原作(2001年、中央公論新社)に続く長編5作と短編集からなるスカイ・クロラシリーズを押井守監督がアニメーションで映画化。映画では結末が異なるものの、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』と『ナ・バ・テア None But Air』(2004年、中央公論新社)のストーリーが採用されている。

 戦争を会社が代理したり、年を取らない「キルドレ」というパイロットたちは感情を抑制されたような淡々としたゲームのような世界の中で永遠に生き続ける。そんな世界で新しく転属してきたパイロット函南優一(カンナミ・ユーヒチ)が基地の女性指揮官である草薙水素(クサナギ・スイト)と互いに意識し合い、彼らの感じる世界が少しづつ変わっていく。

 函南がバイクに乗って橋を渡り、パイを食べに店に行く描写は何か既視感あると思ったら『トップガン』(1986年)だった。女性指揮官とパイロットの関係といい、戦闘機ものの古典となっているのだろう。7月に続編となる『トップガン マーヴェリック』が公開されるのもその根強い人気の証左だ。

 まだまだ新型コロナの不安は解消されそうにないが、こういう時期だからこそ普段は娯楽として、“不要不急”のこととして捉えられている文化の大切さを再確認できるのではないだろうか。イベントやライブの自粛で存続そのものが危惧されるクリエイターや関係者の生活は、私たちが“遊び金”として消費しているその金銭で成り立っている。会社勤めの人が日々満員電車に揺られて出社するように、クリエイターは毎日作品について考え創り出し、イベント関係者は場所を確保し宣伝活動し何カ月、何年という月日をかけて一つの舞台を完成させる。この記事が非日常を彩る文化活動のかけがえのなさをいま一度考える一助になれば幸いだ。そういう“非日常”を楽しめる日常生活が戻ってくることを祈る。